■長曾禰虎鉄

贋作の虎鉄
近藤勇が用いたといわれる名刀、長曾禰虎徹
実はこの勇が使った刀は贋作だった。新撰組の発端、新徴組に志願したとき、勇はこの刀を虎徹と信じて買った。
刀工虎徹は江戸時代最高の刀工として名高く、勇に買える物ではなかった。この刀は幕末の名工の作品を虎徹と偽って売られたものだった。(この刀自体もすばらしい業物だった)
この勇の虎徹はいくつもの修羅場で用いられ、そのたびに勇を救った。虎徹の知名度は彼のおかげで上がったといえる。
本物以上の贋作、それがこの『勇の虎徹』だった。
虎徹と古鉄
長曾禰虎徹の家はもともと刀鍛冶ではなく、代々続いてきた甲冑師の家系だった。
虎徹は慶長10年頃越前にうまれたが、その頃にはすでに甲冑の需要が少なく、虎鉄は江戸に出て刀鍛冶に転じることになる。
虎徹は最初『古鉄』と名乗っていた。恐らく古い鉄の処理が得意であったと考えられている。
彼が『虎徹』と名乗るようになった背景には支那の古事からつけたといわれている。
母親を虎に殺された息子が、仇を撃とうとして山の中を彷徨うはなしである。
ついに息子は虎を見つけ、持っていた弓でその虎を撃ちぬいた。
しかも弓の矢が地面にめり込み、見えなくなるほど打ち込んだのである。
仇を取ったと喜ぶ男が近づいてみるとなんとそれは虎ではなく、岩だった・・・という話である。
さて、これと『虎徹』がどう関係があるかというと、
『強い思いは岩を虎のように見せ、貫くことができるなら、強い思いで名刀を造ろう』
ということで、これより『虎徹』を名乗るようになったらしい。

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